風の森通信 第735号
「1,000年に一度」の地震
東北太平洋沖地震は「1,000年に一度」の大地震と友人からメールが届きました。
ユリウス暦869年に発生した「貞観(じょうがん)地震」と酷似していて、震源域と考えられる範囲も今回の地震の発生場所に近いという内容でした。
「貞観地震」があったことが分かったのはつい最近のこと。
産業技術総合研究所のボーリング調査で分かっていたものです。津波によって海から内陸に運ばれた堆積物から、今回の地震でいう想定外といわれている高さの津波が内陸部まで到達していたことがわかっていたようです。
その後の慶長三陸地震、明治三陸地震、昭和三陸地震そして今回の東北太平洋沖地震。
今回は過去の地震の時と違って海岸域の開発が急速に進んで多くの人々が居住し、津波災害への憂いを昔と違って何倍も常に自覚しなくてはならなかったわけです。
その度に地震と津波は教訓として伝えられてきたはずですが、悲しいことに人は忘れる生き物です。
私たちの記憶に新しい昭和三陸地震の教訓から、各市町村では毎年避難訓練をやったり、高さ10メートル、全長2.5キロの世界一と言われた巨大防潮堤を作ったり、近年ではあらゆるマスコミなどを通して地震や津波の怖さを日々目にしていたはずでした。
なのに津波はそれらを軽々と乗り越え、海岸沿いの町をのみこみ総てを破壊し多くの人命を奪っていきました。衣食住を一瞬に失い、ライフラインが当り前ではなくなり、ガソリンが手に入らなくなるという事実がいつ到来するのか分からないということを、今回の地震と津波によって目の前に突きつけられました。
想定外の津波の高さであったといわれる貞観地震の悲劇が
1,000年の時を経て堆積物の中にあったり、専門家の間でしか知られていない古文書の中にあっただけで、地震があったことすら忘れ去られてきたわけです。
4月7日の深夜、またしても震度6強の強い余震がありました。
停電もあって真っ暗闇の中で「どうしてまた!」の言葉しかありませんでした。
3月11日からもうすぐ1ヶ月という復興に向けた節目の時期に、このような強い余震が襲ってきました。今回の余震でも多くの建造物が被害を受け、東北地方で400万戸の停電や復旧したはがりの都市ガスがまたストップしてしまいました。
「心が折れる」とはこのことでしょうか。
今を生きる私にとってこの地震に関わる時間は、人生の中のほんのごく一部分であるはずです。そして今回は1,000年に一度の歴史的な東北太平洋沖地震だったわけですから、大変なこと苦しいのは当り前なのだと考えることにしました。
体が健康で明るく元気でいればなんとかなる、そしてなんとか乗り越えていかなくてはなりません。
「こんな時だからこそお茶を飲みにきてみたら」
齋藤宗紀先生から電話連絡がありました。
今日は土曜日のお稽古メンバーが全員揃い、静かな時間の流れの中にほっとするものがあります。
杉棚と透木釜を使って初炭手前、貴人清次濃茶そして貴人点。
今日のお床です。
者流くればやどにま徒さくむめの花君可ちとせの可ざ志と毛三流
( 春くれば宿に まづ咲く梅の花 君が千歳 の かざしともみる )
仙台では梅の花が満開の時期です。
梅の花を見るとき、この地震をこれからの世代に伝え幾久しくと願わざるを得ません。
ようやくお茶のお稽古だけは、3月11日以前の姿に戻ることができたのです。
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