東北地方太平洋沖地震 仙台の冨樫です。
無事です。
自宅も奇跡的に無傷です。
壊れたものといえば食器が数枚割れた程度でした。でも無事や無傷といっても外見的にはといったほうが適切かもしれません。
地震発生から今日まで、多くの皆様方からメールやメッセージをいただき感謝申し上げます。大変ご心配をおかけしました。
地震発生の夜に携帯電話のバッテリーが切れてしまい、皆様方から安否確認のメールを頂戴していたにも関わらず返信ができず大変申し訳ありませんでした。
その日は仕事の外出先でった太白区長町一丁目のビルの中にいて被災しました。すぐに道路に逃げて道路で立ちすくんで約五分間揺れが収まるのを待っていました。道路の両側に立っているビルがギシギシと大きな音が出て、いまにも倒壊しそうな状況でしたがその場は道路の陥没程度で事なきを得ました。
太白区ということもあって幸いなことに津波に襲われることもなく職場に戻ることができました。出先が若林区や宮城野区であったら、自分がこうしてブログを書き込んでいなかったかもしれません。
地震発生から今日まで水道の断水はなかったものの、電気、ガス、通信が途絶えなんとも心細い三日間でした。
昨日ようやく電話回線と光回線が復旧、そして今日は電気が復旧しました。電気が復旧するまでの間の情報源は総て携帯ラジオだけの毎日でした。本日ようやく各地の被災状況を初めてテレビや新聞で確認することができました。以前勤務した宮古市や、友人の多い石巻そして気仙沼などを見て、あまりにも悲惨な状況を見て思わず夢であってほしいとつぶやいたほどです。
亡くなられた皆様方のご冥福を祈るとともに、現在もまだ行方不明となっている多くの方々が、一刻も早く救出されることを願っています。
車のガソリンも無くなりまったく移動ができません。
一刻も早い人命救助を最優先していただきたいと思いますが、あわせて人も物資も動けるよう道路整備も急いで欲しいものです。
それにしても震災当日の夜と昨日の夜の星空はきれいで、いつもこんなに星があったのかと驚かされます。
真っ暗になって初めて知ることができた輝く星の美しさ。
今回の地震で、日本はこれからいろいろな面で大きく変わっていくように思います。
その一つは「脱原発」です。
このことについては被災状況からみて時期尚早といわれそうですが、あえてこの場を借りて一言述べさせていただきたいと思います。
これまでブログ「風の森通信」で政治・経済・社会についてはあまり触れてきませんでしたが、今回自分に火の粉ならぬ放射線が降りかかってきたわけですから黙って見過ごすわけにはいきません。

東京電力福島原発の事故の関係で、米第7艦隊は十四日午後仙台市付近で救援活動を行っていたヘリコプターの搭乗員から、低レベルの放射線が検出されたと本日発表されました。
私は今日交通手段がなかったので、自転車で自宅と会社の間の十三キロの道を行き来しました。既に私も目に見えない低レベルの放射能をあびていたと考えるには十分です。もっと近くに住んでいるいわきや福島の友人たちにとっては私より深刻な問題です。このような状況下ではいやがうえにも「脱原発」と叫びたいと思います。もし皆様方も放射線をあびたとしたら「原発」をどう考えられますか。食卓に放射能に汚染された食べ物が並んだらどうされますか。
東京電力が福島県浜通りに原子力発電所を建設し、これまで地震が起きることについては何度も論議され「安全」ということで結論が出された結果がこの有様です。想定外を考慮することが出来なかったことは地震に対する関係者の甘さとしかいいようがありません。経済や環境を優先させ人命を尊重することを怠って原発を作ってきた段階から既に人災だといわざるをえません。
供給電力量が少なくなることにより、計画停電で対処することが大きな問題としてテレビやラジオに流れています。その前に一人一人が原子力発電に頼り過ぎてきた日本社会であったと反省すべきではないでしょうか。そうしていかないと被害者意識しか生まれません。
これまでは私もその原子力発電で得た電気のおかけで、ホームページやブログそしてMIXIなどで楽しんできましたが、そろそろ考え方を改める時期に来ているのかもしれません。具体的には昔からあった「節約・節電」を実践していくことをもう一度考え直したいものです。
「原発」を人間としてどう見るべきか、社会を形成していくうえで本当に私たちにとって必要なことなのか、もう一度基本に立ち返って考えなければならないと思っています。
今回の地震による原子力発電所の事故により、一人一人の意識を変える大きな転換点になるのではないでしょうか。
3月11日、日本が大きく変わる日になるに違いありません。
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