風の森通信 第301号
昨日は今日の過去。
今日は明日の過去。
世の中なにもかも、スピードが以前と比較にならないほど速くなってきているような気がする。自分の意思とは関係なく時間はどんどん進んでいく。少しでも立ち止まろうとすると、後ろのなにものかにせかされるような毎日だった。
そんなわけでここ十日ばかりまったく余裕がなかった。
一つひとつを解決していっても、次から次へと新しい問題が湧いて出てくる。
それでも一つずつやっていくしかない自分。
「忙」という文字のとおり、心が亡くなってしまいそうであった。
疲れた毎日ということだけしか残っていない。
だから少しでも思ったことを、感じたことを記録しなくてはと思っている。
二度と来ない今日のことをブログに綴っておかねば。
十年後、二十年後にこのブログをみた自分はどう思うであろうか。
こんな時もあったと笑って過ごせるだろうか。
読み返すことも忘れている自分かもしれない、もしかしたらこの世にいないかもしれない。
いずれにしても今を記録に残しておくだけが今できること。
記録しておくことを守り続けることができるなら、これからの自分の人生は少しでも幸せになれるのだと今思っている。
今日、デジカメに残した写真一枚。
深緑になった庭の畑の中に紫色をした花だが目立つ。
茄子の花。
よく見ると変わった形と色は原色といえる花である。
好物の野菜であるが、こんなに間近で時間をかけて見たのは初めてかもしれない。
夏が近づくとなぜか花の色は濃いものが多くなってきます。
暑くなってくる中で、生き延びていくためには花までもが色を濃くして咲くのであろうか。
七月一日のお茶のお稽古で「仙遊之式(せんゆうのしき)」を、社中の全員でしようと斎藤宗紀先生から予告がありました。
初めてのお稽古となる。
廻り花をすることになるので、好きな花をそれぞれ持参してほしいとのこと。
茄子の花を持っていこうかと思っているがどうだろう。
でも茄子など野菜の花をお茶会の席では見たことがない。
暑い日の床には似合う花だと私は思うのだが、あまりにも現実的な花だから敬遠されているのだろうか。
野に咲く花でないことも確かだ。
今日のお稽古は行之行台子(ぎょうのぎょうだいす)、行台子を使った薄茶点前と後炭手前。
帛紗を捌く位置と、お茶杓を清める位置について先生より指導を受けた。
変な癖がついているようだ。
意識してやらねば。
体が自然に動くようになったら、流れるような美しい所作になれるはずである。
寝る前に帛紗を手にしてみよう。
「和の学校仙台分校」へどうぞ