風の森通信 第384号
「手なり」
ここ仙台でもようやく桜が満開となりました。
それでも吹く風は強くそして冷たくて、満開の桜の花は無理やり散らされているのではと思ってしまいます。そんな風によって雪ではないのかと間違ってしまうまでにはあと一週間。
花の咲いている期間が短いからあちらこちらと桜を見て歩きたくなってくるのでしょうか。
今日のお稽古で、齋藤先生から何度も「手なり」という言葉を何度もお聞きすることができました。
「手なり」とは茶道のお点前(てまえ)のなかで、お道具の扱いや置き合わせをする際、手の動きが無理なく自然な姿で取り扱うこととされています。
ことさらにお点前の所作をとってつけたようなものや、ひけらかすようなことはせず無理なく自然にというわけです。
分かりやすくいえば「自分のお点前をきれいに見せよう」とか「見てもらおう」という気持ちを持たないようにということでした。
人の生き方にも何か相通ずるものがあるのではないでしょうか。
作らない自分やありのままの自分でいることのほうが、人間としてあるべき姿で、力まず楽なものであるということを。
「手なり」という言葉そのものが、人として生きていくうえでの一つの基準となっていると、教えていただいているような気がしてなりません。今日もまた齋藤先生から「手なり」ということを言われ続けております。
きちんとお点前の順序を覚え、無理のない自然な構えを身につけ、気負うこともなくお茶を点てることができるようになるのは、いつのことでしょうか。
それまで継続していくことができるよう、心して取り組んでいきたいと思っています。
お稽古に通うようになってから、お茶特有の言葉をいろいろと知ることができるようになってきました。
「出会い」「控える」「練(ね)る」「捌(さば)く」「仕組む」「仕舞う」「一手(ひとて)」「湯返し」「点(た)てる」「押し頂く」「改める」「預ける」「置き合せ」「構える」「清める」そして「手なり」などもその一例でしょうか。
一般社会でもよく使われている言葉が多いものです。
お茶をやっているからこそ普段何気なく使えるようになってきました。そんな美しい言葉を使えるようになったのも本当に有り難いことです。
今日のお稽古は透木釜での後炭点前そして四ケ伝のなかの盆点。
私のこれまでの忘備録は大幅に修正しなくてはなりません。
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