風の森通信 第705号
時間が早く感じられるわけ
平成22年11月27日 午前5時39分54秒
セットしていた時間より1時間も早く目が覚めてしまいました。
先日仙台はようやく初氷となり、初雪は時間の問題といったところでしょうか。
早いものでもうすぐカレンダーは残り一枚だけになります。
一日は24時間と決まっています。
なのに最近日常の生活の中でそして仕事をしている時など、時間の経つのが早くなってきているような気がしてなりません。
一般的に高齢になると物事の処理能力が遅くなるといわれています。常に変化に対する対応速度が遅くなって、身の回りにやることがいっぱい山積みになってくるわけです。でも時間がきたからといって途中で投げ出すこともできず、きちんと出来上がるまで時間を費やすことになります。
例えば一つの物事をするのに若い時は1時間かかっていたものが、今やろうとすると1時間10分かかるようになるわけです。
その10分が別のやることに費やしていた時間にずれ込んでしまったりすると焦ってくるわけです。
その都度遅れたことによる連鎖的な遅れが何度か繰り返され、結果的に眠る直前までバタバタになってしまい、時間が足りないと思うようになります。
あたふたと時間に追われているとでもいうのでしょうか。
たぶん・・・いや間違いなくそのために、時間の経つのがあたかも早くなったような気がしてくるわけです。
年をとったらこれまでのやり方ではなく、何かやっていたことを諦め処理能力が遅れた分に振り分ければ、時間が早いなどということはなくなるのではと思ってしまいます。
そんなことを考えていると、年をとるということは何だかつまらなくさえ思えてくるものです。
冬が近づくと考え方まで縮みこんでしまいます。
着膨れをしてモソモソ動きまわっている自分を想像するのも嫌なものです。
でも時間を遅く感じることのできる術を私は知っています。
それはお茶のお点前をしている時、そしてお茶室で正座している時です。
ある程度自分のペースにあわせて進めることができるし、特に帛紗を捌いている時間などはその極みかもしれません。
自分の呼吸にあわせるようにと齋藤先生からお話があります。
ふぅ~と息を吸い込んで、帛紗を狭めた時など時間が止まったかのように思えるものです。
お茶室には時計は持ち込めないのです。
さっそく尊敬する友人からメールが届きました。
「幸せに齢を取るには潔くそして欲を減らすこと、、、欲が多いと失うものが増えていくのは不幸なことです。これからは今までのようには出来なくなってくるので、潔く何かを捨てることも必要かと思います。」
ずばりのご指摘誠にありがとうございます。
今日のお稽古は初炭手前、濃茶茶碗荘そして薄茶茶入荘。
花は伊予水木照葉と白侘助、そして花入は底が広く出来ていて安定感のある舟徳利でした。首が真っ直ぐではなくて少し右に傾いているところがおもしろい。
12月のお稽古は3回と先生からお話がありました。
今年の最後のお稽古は、12月18日に炭付花月そして員茶と予告があり、併せてクリスマス茶会も行なわれることになりました。
楽しみでございます。
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