風の森通信 第957号
隋所作主
「随所作主 立処皆真」
随所に主となれば立つところ皆真なり
二月の月釜で伺った瑞鳳寺(臨濟宗妙心寺派)の本堂内右手に掛けられていた扁額です。
どなたのご染筆によるものでしょうか。
中国唐時代の禅僧で臨済宗開祖の臨済義玄が修行者に対して諭されたお言葉のようです。
どこにいてもどんな状況でも、そこで一所懸命頑張れば真実はそこに現れてくるという意。
本物の自分、真実の自分(主人公)という土台がしっかりしていなければ、外からの圧力に簡単に振り回されてしまってすぐにブレてしまったり転げ落ちたりするものです。
春になるから桜の花が咲くのではなく、桜が主体的に一所懸命花を咲かせるから春が訪れると理解すればよろしいのでしょうか。桜の花 のように精進している中に春は訪れ、春が現れている所には精進している姿がたくさんあるということでしょうか。
精進努力している処に春は現れてくれると理解ものです。
和の学校仙台分校へどうぞ