風の森通信 第1020号
東日本大震災から五年目
尋常でない揺れに襲われ、会社から歩いて家に2時間近くかけて家に戻ったことがつい昨日のことのように思い出されます。
私がとぼとぼと歩いていた頃、当時気仙沼で勤務していた息子は会社の同僚の車で、高台に向い難を免れたことなど知る由もありませんでした。
大震災から一年後の宮城県亘理町浜吉田地区
海から300mの地点で、以前町並みが続いていたところです。
大震災後ライフラインはほとんどが断たれました。
電気や電話が使えないこと、都市ガスは使えず、車のガソリンがタンクに約半分しか入っていなかったこと。携帯電話も電源が切れてしまい、全国の多くの皆様方からメールやショートメールが来ていたことを知ったのは電気が回復した数日後でした。皆様方には大変ご心配をおかけいたしました。
幸いにも唯一水道だけは不自由なく使うことができたくらいでした。
大震災から二日後に、山形の兄たちから乾電池式の石油ストーブや灯油、おにぎりが届けられ助かりました。
山形の友人の会社からは、灯油や食料を大型トラックで地域に販売に来てくれました。遠くの親戚たちからはトラックセンター留の支援物資が送り届けられありがたかったです。
こうして振り返ってみますと、多くの方々の支援があったからこそ今生きていられるのだと改めて感謝申し上げます。
またの災害に備え、それ以来水や食料、灯油、ガソリンの備蓄も常になっています。
しかしながら沿岸部や福一原発で避難している方々のことを考える時、174,471名(2016.2.12現在)の方々がいまだ避難されている現状を考えればまだまだ復興は進んでいない状況です。
今日NHKの震災関連番組をみてみました。
福島県富岡町や楢葉町の除染廃棄物仮置場を、ドローンで上空から撮影した画像を見て驚かされました。広大な敷地に黒い袋に入れられた除染廃棄物の山そしてその広さは拡大していくばかりのようです。
その中で楢葉町は帰宅困難禁止区域が半年前に解除されていて、実際戻られた方々は全町民のわずか6%。しかし福島第一原発はまだ原子力緊急事態宣言は解除されてはいないのです。
セシウムが事故前までの値に戻るまでに約300年、ストロンチウムは約30年、プロトニウムは24,000年以上とか。
帰宅困難区域が解除される根拠は一体どこに有るのか理解できません。本当に問題がないのであれば、まずは復興庁なりが率先して移転してきて復興事業に取り組むべきだと思っています。作業員には放射能レベルが下がり作業がしやすくなるといって防護服を外させておきながら、ある大臣が完全装備着用で視察したなんてまったくおかしな話です。
大震災の復興は、福島第一原発が廃炉にならない限りあり得ないと私は思っています。
福島第一原発の廃炉は果たして何十年後なのでしょうか。イギリスの原子力発電所の廃炉は、90年経ってもまだ完了していないとありました。
大震災の復興を思う時、どうしてもここに行き着いてしまうのです。
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