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風の森通信 第2046号


六芒星に守られている仙台


 今年の三月十三日に仙台バス主催のツアーに参加しました。
「星の街仙台 伊達政宗が隠した六芒星を巡るミステリィーツアー」というもので、仙台東口を出発し榴ヶ岡天満宮、愛宕神社、仙台城本丸、大崎八幡宮、青葉神社そして東照宮を巡る一日のコースでした。
同行して案内いただいたのは星の街仙台案内人の八代峰氏。

 巡った社寺と仙台城本丸を線で結ぶと一つの星型が浮かび上がってきます。


仙台城と五社寺配置図


この星型はカゴメ紋または六芒星と呼ばれているものです。
五つの社寺が高台に建てられ、それらの場所は城下に通じる街道の出入口に当たっています。大崎八幡宮は作並街道、青葉神社は七北田街道、榴ヶ岡天満宮の方向には柳町があってそこは南町や国分町へと入る南端の主要な場所でした。
当時の情勢から察すると、高台に有った社寺は有事の際には舘としての役割があったと考えられ、仙台城からは五社寺総てが見通せたようです。線上には三階建以上の家屋を立てることは禁じられ、見通しの他に“気”の通り道として大事に守られてきました。

 仙台開府の慶長五年は関ケ原の戦いがあった年で、当時城は重要な軍事要害で攻防の拠点でした。攻めてくる敵に対してあらゆる防衛手段がとられました。それは実体のあるものばかりではなく、実体のないものとして怨霊・悪霊まで含まれ、それらの霊からの攻撃には神霊の力を借りて防ぐ呪術や祈祷などが行なわれ「鬼門封じ」が行なわれた時代です。
昔から「鬼門」を忌み嫌う風習があり、東北の方角には鬼と呼ぶ怨霊や魑魅魍魎(ちみもうりょう)がやってくると信じられていました。「鬼門封じ」のためその方向に門を構えて門番を置き、もしも鬼が攻めてきたら捕えて虎の餌にするというわけです。
現代でも家を新築する際に東北の方角を玄関にしなかったり、南天の木を植えたりする風習があります。
仙台城と五社寺配置図を見れば仙台城を基点に東北の「鬼門封じ」の方角に東照宮があることがわかります。
伊達藩はなぜ東照宮を鬼門に据えたのか・・・


十二支と六芒星


 上の図を見ると六芒星は東西南北に正対しておらず、その角度はおよそ十五度あります。この傾きは六芒星を仙台城の鬼門にあわせるためにできた角度です。
もう一度最初の社寺配置図を見ていただければわかると思いますが、仙台の町割りがこの六芒星をなぞってできていることが分かるかと思います。この何気ない仙台の町の傾きが仙台城下の町作りに反映されていたのです。
ちなみに六芒星の中心となるのは国分町通りと定禅寺通りの交差点周辺となり、そこが仙台のパワースポットとなりますので歩く機会がありましたら六芒星中心地の“気”を感じてもらえればと思います。

 9月14日(水)午後7時~泉パークタウン タピオ南舘1階 パークタウンスタイルにおいて、タピ大9月講座が開催されます。
演題は「仙台藩のレイライン~グランドクロス上の新発見」というもので、講師は星の街仙台案内人の八代峰氏です。
今から楽しみです。

           参考文献 稲辺勲著 星の街仙台



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プロフィール

 冨樫 通明  (仙台市在住 ・ ぎゃらりー風の森代表)

Author: 冨樫 通明 (仙台市在住 ・ ぎゃらりー風の森代表)
NPO法人和の学校会員、和の学校仙台分校会員。
茶道を中心とした「和の文化」の実践と普及・拡大そして、昔からあった美しい東北の四季とそれを彩る催しを発信していきます。ドイツで生まれたVEEH HARFE(ヴィーハープ)演奏にも取り組み、癒しの音色をお届けしていきます。

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