風の森通信 第2256号
令和三年 辛丑 (かのと うし)
明けましておめでとうございます。
今年も大崎市岩出山の中森様より、阿部宗徹老師の干支の色紙を頂戴しましたのでご紹介させていただきます。
「丑 見牛人少覓牛人多」
牛を見る人は少なく、牛を覓(もとむ)る人は多し
廓庵十牛図第二見跡壊衲璉和尚頌
「見牛人少覓牛多、山北山南見也穈
明暗一条来去路、箇中認取別無多」より
コロナ渦のうちに新年は明けた。
誰もが、幸せのうちに夢と希望を膨らませて、新しい歳はやってくると思っていた。
何もかもが一変したかのような戸惑いがこの歳に持ち越された。
釈尊の御教えは「諸行無常」。それなのに、世の中は変わっても、自分こそは変わりはしないと頑なに生きてきた。あたかも、変わるべきはそっちだというありさまに思える。諸行無常は新たな展開を約束している。
科学文明の崩壊後、異形の生態系に覆われた終末世界を舞台に、人と自然の歩むべき道を求める宮崎駿の『風の谷のナウシカ』では云う、
「私たちの身体が人工で作り変えられていても、私達の生命は私たちのものだ。生命は生命の力で生きている。その朝が来るなら、私たちはその朝にむかって生きよう。
私たちは血を吐きつつ、くり返しくり返しその朝をこえてとぶ鳥だ!!
生きることは変わることだ。王蟲も粘菌も草木も人間も変わっていくだろう。腐海も共に生きるだろう。
世界は変わる。人間も変わらなくてはならない。」と・・・
私たちの「心牛」。それは「まこと」であり「真実」であり、とりもなおさず「仏性」である。今直面する困難は新たな目覚めへの扉。鍵を開けよう。
『漢書』律暦志によると、「丑」は芽が種子の中にあって、いまだ伸びていない状態だという。私たちの「まことの心」は誰にでも等しく具わるというけれで、文明社会に培わされ、自我に覆い尽くされ、他に求めることに慣れ、自身の「まこと」の扉を開くことに不得意となってしまったに違いない。
良いことも、不都合なことも避けるこたができないこの世。新年の言祝ぎは、常に新たな我が心の発見から始まることだろう。
臨済寺専門道場 阿部宗徹
日月新(にちげつあらた)
明けましておめでとうございます。
昨年は健康でいられることのありがさを知る一年となりした。
入院生活もありましたが、落ち込んだ時や大変な時こそ必要になるのは〝夢中〟になれること。
ヘルマンハープ、裏千家茶道そして家庭菜園や短歌に俳句。それらやりたいもの限定ですが、時間をとって集中してやるのが私にとって元気の源です。
そして親しい友人と、新鮮で安全なおいしい野菜や食べ物があれば大丈夫。
元気で生きていられるからこそ、日々リセットができ新たなスタートを切ることがでができます。
これまで培ってきたことを基本に、新しい発見や新しい出会いが今から楽しみです。
今年は〝健康第一〟を目指し、日々の生活を丁寧にやっていきたいと思っています。
コロナの終息を願い、明るい平和な年で楽しく無事過ごすことができ、来年もまた元気で年賀を申し上げたいと思います。
2021年 元旦 冨樫通明