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風の森通信 第2319号


東日本大震災から11年


 3月11日は東日本大震災から11年目にあたります。
震災の記憶が薄れてきている時、私の職場の先輩であった書家の熊谷喜美雄氏から、気仙沼にあった震災前のご自宅と、津波に流された後の写真を拝見することが出来ました。
その記憶をご自分のためだけでなく多くの皆様方にも共有してもらいたいと、blog風の森通信でご紹介させていただく許可を得ることができました。
以下の写真は熊谷さんからお借りしたものです。
コメントは熊谷さんご本人から頂きました。


2010年(平成22年)8月13日撮影
震災前の熊谷邸(屋号・賀美家 かみけ)
〈写真をクリックすると拡大されます〉


・上  棟:1963年(昭和38年)3月17日
・建築主:父・熊谷喜一(38歳)


左は表面、右は裏面 (縦36㎝×横9㎝)


2012年(平成24年)8月、奇跡的に瓦礫の中から棟札が発見された。
(注) むなふだ、むねふだとも。
寺社・民家など建物の建築・修築の記録や記念として、棟木や梁など建物内部の高所に取り付けた札。

100m先は気仙沼湾で松原(写真)が広がっていた。 


 その日、午後3時25分頃襲来した約9メートルの巨大津波によって尾崎地区99世帯全戸の家屋・財産が破壊され流失した。
当然不要物は含まれるが、大切な所蔵物はすべて流失し海の藻屑となった。

 ・幾度の書展出品(入賞・入選)作品
 ・古今の和・洋の文学全集、三島由紀夫など個人文学全集
 ・二十代から愛聴したクラシックLPレコード(250余枚)
 ・おびただしい枚数の家族写真(古・新)など


2011年(平成22年)4月16日撮影
震災後の熊谷邸(屋号・賀美家 かみけ)
〈写真をクリックすると拡大されます〉


左手の丘が旧小屋館城跡で「古谷館八幡神社」か鎮座する。鳥居が小さく霞んで見える。
大津波の難から逃れようと200余人の人々が神社の石段を駆け上った。標高約20mだが、浪は中腹まで押し寄せたという。

・旧地の今


2022年(令和4年)3月7日撮影


 低地一帯は「災害危険区域」に指定され、住居建築は不可。
2021年(令和3年)4月、「松崎尾崎防災公園」が完成した。 
植樹した黒松が成長して見えないが、その向こうに私邸があった。
JRバス路線の橋(円形)の向こうに鎮守の森「古谷館八幡神社」が見える。

・完成した「松崎尾崎防災公園」


2022年(令和4年)3月7日撮影


 「防災公園」の一角で北西の方角を撮影した。
右手が北で、左手100m先は気仙沼湾。
高さ7.2mの海岸堤防が築かれた。
○印が当家旧地。


2022年(令和4年)3月7日撮影


南方向を撮影。
堤防に立つと気仙沼湾口が目の前に見える。


 被災地気仙沼ではこの11年で防災力を強化した形で復興が進んできています。
私たちは大震災の記憶を忘れず、またいつ来るか分からない津波の襲来に備えそして伝えていきたいものです。



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プロフィール

 冨樫 通明  (仙台市在住 ・ ぎゃらりー風の森代表)

Author: 冨樫 通明 (仙台市在住 ・ ぎゃらりー風の森代表)
NPO法人和の学校会員、和の学校仙台分校会員。
茶道を中心とした「和の文化」の実践と普及・拡大そして、昔からあった美しい東北の四季とそれを彩る催しを発信していきます。ドイツで生まれたVEEH HARFE(ヴィーハープ)演奏にも取り組み、癒しの音色をお届けしていきます。

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