風の森通信 第2325号
書家 熊谷 喜美雄 作品集
民謡に魅かれて・・『気仙坂』
2020年(令和2年)6月作 サイズ32㎝×65㎝
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気仙坂
七坂八坂
九坂十坂目に
鉋(かんな)を掛けて
平らめた
それは
嘘よ
御人足をかけて平らめた
どこの
旦那さま
今朝の寒(しば)れに
どこさ行く
姉こ
騙(だま)しの
帯買いに
帯こ
買うならば
地よく
幅よく
丈長く
結ぶところは鶴と亀
鶴と亀
下がるところは下がり藤
目出度いところは
祝い松
『気仙坂』のこと
岩手県南部から宮城県にかけて唄われる祝い唄で、もとは銭吹きという労働歌といいます。諸説ありますが、権威ある民謡大鑑に学びました。
江戸時代、南部藩の大迫村外川目や九戸の小久慈に「銭座」という貨幣を鋳造する工場(鋳銭場)があり、そこで鉱石を溶かすのに、炉に風を送り込む「タタラ」を足で踏む時に唄ったのがこの唄といわれています。
いつの頃からか、唄に三味線の伴奏が付いて祝い唄に。歌詞の「気仙坂」とは、宮城県気仙沼市から岩手県陸前高田市気仙町へ通じる旧道(藩政時代は通称・浜街道)で、七坂も十坂もある悪い道でした。唄に詠まれるからには、難渋を極める峠路だったのでしょう。廃道となって今に残る綱木坂、松ノ坂のコースがそれです。
険峻な峠路を腕の良い気仙大工が鉋で平らにしたのだと威張ったところ、いや違う、御人足が大勢で平らめたのだ、というたわいのない文句を唄っていますが、節調が誠に面白く風格もあるので祝い唄になったと考えられています。
そうそう、これでつとに知られるのは、石巻にあった伊達藩の鋳銭場でしょう。町名として残り民謡通の人なら、ああ『斎太郎節』だと思い起こすはず。
この唄の名の由来にも諸説あり、金華山沖から気仙沼にかけて歌われていた「さいとく節」と呼ばれる祝い唄を起原とする説。「さいとく」が訛って「さいたら」になり、「斎太郎」の文字が当てられたという説や、鋳銭場で働いていた斎太郎という美声の持ち主が、後に漁師となって歌っていたことからその名前が付いたという説もあります。いずれにせよ、銭吹きの労働歌が源となっていることだけは確かでしょう。
※一部「日本民謡大鑑」に拠りました。
書家熊谷喜美雄氏のこの作品は、2022年(令和4年)5月17日(火)~
仙台市青葉区上杉にある“すずめ屋カフェ”に展示されます。
詳細はすずめ屋カフェまで。
季節毎に作品が入替わって展示されますので是非ご覧ください。