風の森通信 第2200号
令和二年(2020) 干支 庚子(かのえね)
今年も大崎市岩出山の中森宗和様から、臨済寺専門道場の阿部宗徹 無底窟老大師の色紙が届いておりましたのでご紹介させていただきます。
中森様には改めて感謝申し上げます。
正月に大根膾(なます)は付き物。
その大根を『菜頭(さいとう)』と呼ぶ国もある。
この発音が『彩頭ー幸先がよい』につながる。
人生はいつも幸先がよく、中もよく、末永く幸せでありたい。それ故に幸先がよいという喜びに出会いたいと願う。
嫌われ者のネズミもよく見れば可愛い顔している。蔵の穀物を己が天下の宝とするから『虚空蔵さま』と呼ばれたり、船乗りにとっては安全を確信させる大切な同乗者。
吉凶禍福・良し悪しはそれを受けとめる側の事情にあり、天地の道理や自然の営みはそれを待ちはしない。
それにしても、世界の混乱と災害は収まることを知らない。それを我身一身の不徳の致すそころと深く顧みる先人達を知ることが出来るが、それを倣う人は少なく責立てる人は多い。
冨も幸も財も貧り担ぐ人たちに、幸先のよい軽やかなスタートは望めない。
詩経に「鼠を相(み)れば皮有り、人として儀なからんや」嫌われ者の鼠でさえ替えがたい姿をしている。
あらゆる存在に尊厳が具わるし、人には人たらしめる威儀がなくてはならないという。その鼠を不都合だからと言って投げ飛ばす先に、こだわりの器があって壊れてはしまいかと慌てる(漢書賈誼伝)という身勝手で愚かなことは恥ずかしい。
令和の御代の初めての春。
これまでの多くの悲しみを慰め、ひたすら今日の此の日より末永い安寧を祈るばかり。
臨済寺専門道場 阿部宗徹
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