風の森通信 第283号
・ 平成18年3月23日(木)午後1時30分~
・ 仙台市青葉区瑞鳳寺山内「鎌田宗承先生追悼茶会」
・ 淡交会宮城支部 故 鎌田宗承社中
仙台藩初代藩主伊達政宗公は、寛永13年(1636)5月24日、江戸桜田上屋敷にて70年の生涯を閉じられた。 遺骸は遺言によって仙台市青葉区経ヶ峯に埋葬されている。
瑞鳳殿は、伊達政宗公の御霊を祀る霊屋として建てられた廟墓。
瑞鳳殿へ向かう途中にあるのが臨済宗正宗山瑞鳳寺。
臨済宗妙心寺直末で正宗山と号し、瑞鳳殿と共に伊達政宗公の菩提寺として二代忠宗公により建立された。
写真は経ケ峰への参道の入り口付近の様子。
この坂を上り切った左側に瑞鳳寺、その奥に瑞鳳殿がある。
山門に入ると木立の奥に本堂が見えてくる。
そして人影も見え隠れ。
茶席をつくる人々そして茶人の姿。
毎月二十三日政宗公命日逮夜の日、裏千家淡交会々員により供養茶会が催されている。
今回は鎌田宗承先生追悼茶会として開催されていた。社中の60名の皆様方が集いそして釜をかけていただいた。97歳で遷化されてから早いものでもう一年が経っていたのだ。
濃茶席(台目席)
床 大徳寺四十七世 一休宗純筆
雲門諸佛出身処東山水上行 古筆了音極
雲門とは雲門宗の開祖雲門文偃(ぶんえん)禅師のこと。
中国の唐未から五代にかけて活躍された方で、禅言行録としては「雲門広録」がある。
修行僧が「過去世・現在世・未来世の諸仏の悟りの境地とは如何んのものか」と問うたのに対し、禅師は「東山水上を行く」と答えたもの。
東山とは中国湖北省にある大きな山。
動くはずもない山が動いて、しかも川の水面を流れて行ってしまったと言うのはまったくありえない事。
一般的に抱く常識的で相対的な認識の世界にあって、生と死、動と静、苦と楽、善と悪などの二つに分けて考えるから、人は妄想を起こしそして執着し、迷い苦しみながら業を重ねていくものと説く。
対立させながらニ相分別するという観念を打ち破って、常識や理屈の殻を壊さなくては道を究めることはできない。
この書の中には、一休宗純の生き方や考え方が凝縮されているようにも思えてくる。
花入 経筒 鍍金梵字入
香合 呉州 型物 有馬筆
釜 阿弥陀堂 共箱 道也 造
炉縁 東大寺古材 清水公照箱
水差 舟波
茶入 唐物文琳 銘 伊達 鵬雲斎大宗匠箱
仕覆 萌黄地大牡丹金襴 白茶一重蔓中牡丹唐草金襴
茶杓 一燈作 銘 仙人
共筒 鵬雲斎大宗匠箱
茶碗 高麗 鵬雲斎大宗匠箱
替 大樋 年朗造
蓋置 竹 鵬雲斎大宗匠在判箱
建水 鉄鉢 勘渓造
御茶 青葉の昔 大正園詰
菓子 蓬餅 賣茶翁製
菓子器 染付鉢 六兵衛造
幸運であった。
濃茶席で一休宗純の書を間近で拝見することができようとは。
そして先生のご了解を得て、写真まで撮影させていただいたことは何よりも有り難かった。
蓬餅は鎌田先生の好物の菓子。
その話長くなりそな蓬餅
一会を語り合いまた春が来る 冨樫 H18.3.23
蓬餅でお茶をいただきながら、先生のお話をゆっくりとお聞きしたいものです。
薄茶席(海眼閣)
床 鎌田景州老師筆 一行 流水帯花香
鎌田先生80歳の頃の書とお聞きした。
薄茶席では先生手作りの花入やお茶杓が荘られるなど、お茶室の空気が一変したような気がしたのは私だけであったろうか。
障子を開けて鎌田先生がふっと入ってきていただけそうな気がします。先生がお元気だったらどんなお話を聞くことが出来たのでしょうか。
先生の書が月間茶道誌「淡交」(平成17年6月号)の茶席の掛物Q&Aの中にもご紹介されています。
これからもいろいろなお席で、先生の書にまたお目にかかりたいものです。
花入 景州老師作 置筒 銘 岸辺の柳
香合 出雲 松笠 空権造
釜 尻張 龍宝山鋳込
清右衛門極 淨味造
炉縁 黒
棚 鵬雲斎大宗匠好 行雲 表完造
水差 唐津 不識
薄器 黒 仙叟好 大棗 宗哲造
茶杓 景州老師作 銘 残心
茶碗 乾山写 菜の花絵 坐忘斎お家元箱 十三軒造
替 つくしの絵 春雲造
蓋置 膳所 蝶 陽炎園造
建水 萩 口糸目 陶兵衛造
お茶 翠芳の白 井ケ田園詰
菓子 思い出 末富製
菓子器 堆朱 四方盆
先生を偲ぶお道具が数多くありました。
特にお茶杓の銘の「残心」が心に残ります。
一事を成し終えた後の一呼吸でしょうか。
まだまだ元気で、これからのこともいろいろと考えられていたのでしょう。
帰りには鼓月の黄白二重薯蕷饅頭まで頂戴してきました。
鎌田宗承先生を偲びつつ、おいしいお茶とともにこの季節を十分楽しむことができたのです。
いよいよ花の季節になります。
お茶室に向かう途中、阿吽(あうん)の龍が私を迎えてくれる。
戦災消失前の瑞鳳殿の隅棟には、青銅製の阿吽の竜頭彫刻瓦があった。8体のうち2体がこの瑞鳳寺の庫裏の前に保管されている。
瑞鳳寺は私にとって思い出の寺でもある。
私が茶道を習い始めたのが平成14年の暮れ。
そして翌平成15年4月25日~26日に、裏千家淡交会東北地区大会が仙台市で開催された。
坐忘斎宗匠第十六代御家元継承記念としての大会でもあったので、全国から多くのお客様が訪れた。
斎藤宗紀先生からの依頼も有り、習いたての私も瑞鳳寺での濃茶席で、生まれて初めてお運びのお手伝いをさせていただくことができたのです。
素人同様の私にとってやること為すことが初めてのこと。
周囲の先輩たちにいろいろと教えていただいたのが、昨日のことのように思い出される。
会場の前にあったのがこの阿吽の龍。
県外のお客様から阿吽の龍の云われを聞かれたが、まだ応えることもできなかった。
その時に作った短歌を初めて「淡交」に投稿し、掲載されたことも思い出のひとつになっている。
茶室前阿吽の龍が迎へ立つ道の始終を見守るために
冨樫 (平成15年9月淡交歌壇)