風の森通信 第488号


「とよま茶会」

■日時:成20年4月29日(火・祝)午前9時30分~
■場所:宮城県登米(とめ)市
     遠山之里、寺池城跡公園、森舞台、教育資料館前庭
■主催:とよま茶会実行委員会、登米市観光物産協会
  
 「とよま茶会」 
  - うららかな春の便りに思いを馳せながら -

 宮城県北部に位置する登米市は伊達一門の城下町。
武家屋敷や白壁の土蔵がいたるところに点在しています。

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明治初期の頃の洋風建築物なども数多く残されていて、ノスタルジックな雰囲気が楽しめます。
宮城の明治村といわれる町並みを歩いていると、その当時にタイムスリップしたかのような時の流れに出会うことができます。
毎年4月29日の昭和の日「とよま茶会」が市内の4会場で開催されました。

■立礼席  遠山之里 (観光物産センター) 
   

 床      山崎久佑筆 色紙    三級浪高魚化龍
 花      白山吹、黄色片栗
 花入     鯉

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        三級浪(なみ)高うして 魚(うお)龍と化す

 毎年、桃の花が咲く頃に多くの魚が黄河を上り、三段の瀑布と云われる竜門山の下に集い、そこを登りきった魚だけが頭に角が生え尾を昂げ竜となって雲を起こし、天に昇っていったという中国の伝説によるとのこと。
 その後、試験場に入る門が龍門と呼ばれるようになり、及第し出世していくことから「登龍門」として呼ばれるようになったとお聞きしました。 渾身の力を込め真っ赤になった鯉が、光り輝きながら上っていく姿を拝見させてもらいました。背景となっている青と白の垂れ幕も、黄河の滝の流れを思わせてくれます。

 釜     遠山腰霰
 棚     御園棚

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 水指    鎧櫃
 薄茶器   八橋 平棗
 茶杓    永源 雄峰和尚作  銘 翠嵐
 茶碗    萩
 仕舞付   青楓
 蓋置    兜
 建水    
 水次
 御茶    青松の白        大正園詰
 菓子    とおやま        和楽製

鎧に兜、翠嵐、青楓、青松、とおやま。
一つひとつのお道具の銘や取り合わせがとても楽しいものでした。

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男の子の成長を願い、強くたくましくあれと席主のK先生からのお言葉。
凛とした雰囲気の中でお点前が進み、待っている間お茶碗の中の緑の色まで想像することができます。
お運びは登米市内中学校の女子生徒たちが担当してくれました。
 会場が「遠山之里」、釜は「遠山腰霰」そしてお菓子は「とおやま」
登米を取り囲むはるかかなたの山々を望んでの風景。
自然の多いそして雄大な登米の眺めを、このお席でも十二分に楽しむことができたのです。


■薄茶席  森舞台 (伝統芸能伝承館)  
 
  席主   裏千家淡交会宮城支部 みやぎ北青年部
  床     清風在竹林 

 清らかな風が竹林に吹いています。

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竹が風を起こすのか、風が竹を揺するのか。
ただただ竹や風も無心の動き。
その無心さから竹は清く、風は清々しく大地を渡ります。
それらを眼でそして肌で感じる時、人は心地良く居られるのかもしれません。
無心な風の流れを感じる時、心もまた無になれるのでしょうか。

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私が座った末席からは竹林が続いているのが見えます。
そこは風の通り道なのでしょうか、枝が大きく揺れています。
これだけ多くの新緑を前にしてのお席は初めてのこと。
風の色も新緑なのではと思ってしまいます。
そしてお茶碗の中も春の緑。
まさに新緑に囲まれた素晴らしいお席だったのです。

お茶をいただいた後、お茶室の外にある森舞台で仕舞を拝見することができました。

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午前の演目
  ・熊野/湯谷(ゆや)
  ・船弁慶(ふなべんけい)
  ・草紙洗小町(そうしあらいこまち)
午後の演目
  ・網ノ段(あみのだん)
  ・杜若(かきつばた)
  ・大江山(おおえやま)

午前は女性の仕舞、午後からは男性の仕舞が演じられました。
お茶会の席で仕舞を見られるとは思いもよらなかったこと。
風を感じながらの舞台は楽しいものでした。


■煎茶席 寺池城跡公園

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 煎茶とお団子と一緒に添えられていたのは、多羅葉の裏側に書かれた「野にあそぶ」、虫に食われた多羅葉がなんとも微笑ましくて、記念にいただいてきました。
このような日は野に出て青草を踏み、草を摘み、咲き乱れる花を愛でながらみんなで語らい、ようやく訪れてくれた登米の春を楽しみましょう。
親しい人に今の思いを葉書にしたため投函してみましょうか。


■野点席  教育資料館前庭

 床      喫茶去

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 教育資料館は明治21年(1888年)登米高等尋常小学校の木造素木造り二階建の校舎として造られたもので、86年間実際に使われ、昭和56年国重要文化財指定の校舎です。
校舎の前庭で野点席が設けられました。
お茶をいただいて正面を見るとバルコニーがあり、髭をはやした校長先生が顔を出すのではと思ってしまいます。
きっと明治の頃のお茶会はこんな光景の中で行われたのでしょうか。

 【参加者の感想】
 
 和の学校の会員でない私ですが、初めて例会に家族と一緒に参加させてもらいました。
お茶や能の舞台など思いもよらぬ和の文化に接する機会があり楽しい一日となりました。
来年もまた楽しみにしています。(渡部)

 伊達一門に伝わり継承されている大倉流の「登米能」を拝見するのが今回の楽しみでした。
宮城県内では能舞台の数が少なく、なかなか能を見る機会のない私たちにとって大変ありがたいものでした。能や仕舞などをみる例会も今後企画してもらえませんか。(山)
 
 森舞台での青年部席は窓の外の景色が素晴らしく、清々しい気持ちでお茶を頂くことができました。
煎茶席では席主の先生のお話を楽しむことができました。お茶をいただきながら書をしたり、歌を詠んだり、能をみたりそんなお席があったら優雅で素敵ですね~。(ネリ)

 今回の例会は和の学校仙台分校の会員以外の方々からも多くの参加をいただくことができ、12名の参加となりました。お茶会と一緒に仕舞を楽しく拝見することができたと皆様からの感想をお聞きすることができました。今回も参加者全員が事故もなく楽しい例会になりましたこと感謝申し上げます。
なお今回の例会実施にあたり、登米市観光物産協会の佐々木さまには大変お世話になりました。
この場をお借りしまして厚く御礼申し上げます。
来年もまた参加させていただきます。(冨樫) 


 
 早いもので風炉になって三回目のお稽古。
今日のお稽古は台子後炭点前、行之行台子そして台子薄茶点前。

 「お茶杓の銘は」
 「雀の舞と申します」

仙台青葉まつりが今日と明日開催されます。

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今日が宵まつりそして明日が本まつり。
新緑がまぶしいこの季節、仙台山鉾巡行やすずめ踊りが行われ杜の都を一足早く熱気につつみこみます。


和の学校仙台分校へどうぞ

テーマ : 和風、和物、日本の伝統
ジャンル : 趣味・実用

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大お茶会楽しみですね。

今日、さくら野でチケット購入。
楽しみです。

チョットだけブログに宣伝。
晴れるといいですね。

『とよま』か『とめ』か?

 冨樫です。
「登米」は「とめ」と呼ぶのか「とよま」と呼ぶのかという質問が数名の方からメールをいただいております。
私自信もよく分からず、登米市に質問してみました。
以下がその返信メールに添付されていたものです。
私自信もいろいろと勉強させていただきました。

>  なお、不明な点につきましては下記まで連絡いただければ、わかる範囲でお答えしたいと思いますし、住所等をお知らせいただければ、紙ベースで観光の手引一式を送付いたしますので、併せてお願いいたします。
>
> 〒987-0792
> 登米市登米町寺池目子待井381-1
> 登米市登米総合支所
> 地域生活課 地域係

> TEL: 0220-52-2111 又は 0220-52-5051
> FAX: 0220-52-2118
> Email: toyoma-somu@city.tome.miyagi.jp

 「同じ『登米』と言う字を使って何故“トヨマ”と“トメ”と呼び方が2つあるのか?」。
登米町を訪れた観光客の皆さんがだれでも疑問に思うことでしょう。

 『続日本紀』に「宝亀5年陸奥国遠山村」の記述があり、国語学者大槻文彦氏は著書『復軒雑纂』(1902年) の中で「続日本紀の宝亀5(744)年10月の条に見えた、蝦夷の巣窟陸奥国遠山村とあるが、後の登米郡の地であろう。遠山村はもとより蝦夷語の当て字であろうが、遠山は“トヨマ”と同音である。」と述べており、このことから“遠山”が“トヨマ”の語源とされております。

 “登米”という字が最初に見えるのは、『日本後紀』の延暦18 (799)年の条に「登米郡を小田郡に併す。」とあり、この年に既に“登米”という字が使われていたと思われます。当て字としては、『倭名類聚鈔(和名抄)(934年) 、源順著』に“止与米”(正しくは“止与末”の説あり)、『奥の細道(1689年) 、松尾芭蕉』に“戸伊摩”、『曽良随行日記(1689年) 、河合曽良著』に“戸いま”、『漫遊文草( 章 )(1790年)、平沢元著』に“豊米”、『読書余滴(1842年) 、安井息軒著』に“外山”の記述がみられます。又、第4代仙台藩主綱村公(1660~1703年)が登米に来城した折り詠んだ句に「於登米 花かとよ ねやまに残る 木々の雪」とあり、登米と書いています。公式には、天保6年(1835年) に「登米郡登米と相称候様」と藩より許可がでており、ここで“登米(トヨマ)”と決定いたしました。

 “トヨマ”の原音は、言語学者金田一京助氏によりますとアイヌ語の“トイオマイ”の訛ったものではないかと言っています。“トイオマイ”は、「食べられる土のあるところ」という意味をもっており、現に福島県いわき市内に“豊間(トヨマ)”というところがあり、そこからは昔アイヌが食べたと思われるアルカリ性の白い岩石が採掘されていると言われており、この地方にも石灰岩が産出されているのをみると“トイオマイ”が“トヨマ”と訛って呼ばれていることもうなずけます。

 その後“トヨマ”を“トメ”と呼ぶようになったのは、『復軒雑纂』の中に、「今“トメ”など言うは、維新後に他国より来し県吏など百姓読みせしに起れり。往時は、さる称呼せし者一人もなかりき。」とあり、明治の初めこの町が登米県・水沢県の県庁の所在地となって、地名の呼び方もわからない県庁職員が多数往来したので、“トメ”と呼ぶようになったのだろうと言われております。

 以上のことから、『ミヤギケン トメグン トヨママチ』となりました。ちなみに、町内の官公庁の名称は、町の施設については、トヨマ町トヨマ小学校・トヨマ町トヨマ中学校と、国・県等の施設については、仙台地裁トメ支部・仙台法務局トメ支局・宮城県トメ警察署・宮城県トメ高等学校・トメ地方広域水道企業団と使い分けされております。
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プロフィール

 冨樫 通明  (仙台市在住 ・ ぎゃらりー風の森代表)

Author: 冨樫 通明 (仙台市在住 ・ ぎゃらりー風の森代表)
NPO法人和の学校会員、和の学校仙台分校会員。
茶道を中心とした「和の文化」の実践と普及・拡大に取り組んでいます。
昔からあった美しい東北の四季、それを彩る催しなどもお届けしていきます。

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