復興支援ありがとうございます 3月11日の東北関東大震災から既に3週間が経ちました。
死者や安否不明者の数が3万人近くになりましたが、まだその全貌が見えない程の大きな災害でした。
その後の福島原発事故、地盤沈下そして最近では内陸部での山津波の被害が新たにクローズアップされてきています。
仙台市内では県外ナンバーの車が「災害復旧」の横断幕を張ってたくさん走っているのが目につきます。
大阪や京都、長野、岐阜、静岡そして新潟・・・救急車や消防車、工事関連の車、運搬車やタンクローリーであったりいろいろな被災現場で多くの専門の方々が頑張ってくれています。本当にありがたいことです。
見知らぬ土地で、雪が降ったりする寒いなか、そして余震が続く中でのご苦労に頭の下がる思いです。初めてお会いする方々なのに、こうして一所懸命に復旧作業を黙々とやっていただいています。私の住む泉パークタウンはおかげさまで総てのライフラインが既に復旧しました。
震災十日後に米が底をついていた頃、和の学校仙台分校を通して知り合った山形県高畠町にある
農事組合法人屋代農業生産組合の中村さんにメールでお米を送っていただくようお願いしたところ、翌日大型トラックでお米と灯油そして飲料水や卵、漬物などをたくさん積んで私の家の近くまで来てくれました。
最初はお米一袋かと思っていたのですが、ビッグなプレゼントには驚かされました。スタッフ4名の方々が被災された皆様になんとか力になりたいと長時間かけてわざわざ仙台まで運んでくれたものです。近くの広場にトラックを停めてもらい、数量もたくさんあったのでご近所の皆様にもさっそく連絡してお買い求めいただくことができました。


灯油やお米がなかなか手に入りにくい状態だったので本当に大助かりでした。
このような方々の存在や皆様のおかげで、また普段の生活ができることのありがたさをこれほど感じたことはありません。
感謝、感謝です。
そして生かされているこの命にも感謝です。
昨日宮城県内の高速道路の全線が一般車両も通行可能となりました。そのせいでしょうか、スーパーでは牛乳などの商品などを除き通常の買い物ができるまでになってきました。
そして宅急便も各家庭に配達が可能となったようです。
まだ並ぶとしたらガソリンスタンドで車に給油することだけでしょうか。
そしてこれからは海岸部の街の一刻も早い復興を願うだけです。
この間、全国の多くの皆様方から安否の確認やその後のことで電話やメールなどいただきました。
ご心配をおかけしました。
そしていろいろな組織を通して義援金などを振り込んでいただきましたこと誠にありがとうございます。
皆様の一人一人のご支援が、被災地の復興に大きな力となっていきます。
感謝申し上げます。
震災後、私が変わったこと。
・地域の人やご支援の方々と挨拶する機会が多くなった
・自動車が使えず自転車を使ったり歩くようになった
・節電、節水を以前より心がけるようになった
・パソコンの電源をあまり入れなくなり、ラジオを聞くようになった
・並んで買い物をすることが平気になった
・整理整頓をこまめにやるようになった
この世は常ならず、何歳になっても人間はわずかであっても絶えず変わっていくもののようです。
これからの被災地の復興とあわせて仕事ができる環境作り、そして原発の行方がとても心配です。
でもいつまでも現状を憂えているわけにはいきません。自分が復興に向け強い意志を持ち出来る限り頑張りたいと思います。
引き続き皆様方からのご支援をどうぞよろしくお願いいたします。
和の学校仙台分校へどうぞ
冨樫さま
こんばんは!
その後、どうしてらっしゃるかなぁ?と思っていました。テレビでの状況把握しか出来ず、まだまだ大変な様子を目の当たりにし気になっておりました。でも、ライフラインも復旧したそうで良かったですね。
日本のみならず海外からもたくさんの支援が来ている様子に胸がいっぱいになります。復興まで道のりは長いと思いますが、「ガンバレ日本!」ですよね。
冨樫さまも周りの皆さんと共に乗り越えて行って下さい。
ライフラインが整って、だいぶ落ち着いてこられたようで、安心いたしました。
主人のところは、ガスがあと一歩のようです。
あまりにもいろんな被害が、それも広範囲にわたって種々様々に起こり、
遠く離れて私たちは本当に何もできず、歯がゆいばかりです。
せめて風評被害に惑わされず、事実を正しく認識し、賢い国民になって
少しばかり頑張って募金に励むことにいたしましょう。
富樫様も、どうぞ御身お大切に、いつか仙台の月釜でお目にかかれる日を楽しみに・・
仙台はまだ寒いでしょう・・風邪など引かぬように気をつけてくださいね。
テレビを見るたびに胸が痛くなります。
ハレのはは様がおしゃっているように私もいつの日か月釜でお目にかかりたいです。ストレスをためないでゆっくり頑張ってください。ブログまた更新してください。
お元気で・・
★popyuさま
私の住む泉パークタウンは、先週の水曜日に総てのライフラインが復旧しました。今日現在でも仙台市の中心部を中心として約7割のご家庭やお店などで都市ガスが使えない状況が続いています。
特に都市ガスの工場が仙台湾にあったため、LNGの諸設備が壊滅的な被害を受け、当初復旧まで4ヶ月程度かかると報導されておりました。その後新潟とのパイプラインが稼動可能ということで、仙台市や近隣市町村の都市ガスは全面的に新潟ガスさんににお願いすることになりました。
本当にありがたいことです。
実際に都市ガスの復旧工事を担当してもらっているのは大阪ガスの職員の皆様方で、総勢800名近くの方々が応援に駆けつけていただき連日復旧工事を担当していただいております。今日も市内中心部の道路に埋設されている管路の修繕を市内のいたるところで工事をしてもらっております。
ガスの復旧時にはどうしても一軒一軒の家庭での立会いが必要なことから大幅に復旧工事が遅れているものです。33年前の宮城県沖地震の際も、都市ガスが一番最後に復旧したのを記憶しております。
こうして、都市ガスだけでなくいろいろな現場で日本中の方々からご支援をいただいるのを強く感じております。
被災地には世界各国からの支援もあって世界規模での取り組みをいただいていることについても深く感謝申し上げたいと思います。
ボランティア活動も今週あたりから本格的に活動が展開されると聞いております。
こうしてpopyuさんからも励ましのコメントをいただくだけでも本当に心強いものです。
人は人に支えられていることを強く感じております。
感謝申し上げます。
★ハレのははさま
冨樫です。
返信が遅れてしまい申し訳ございません。
ご主人のお住まいは東北大学医学部の近くだったでしょうか?都市ガスについては市内中心部より離れた地域から復旧工事を実施しているようです。住宅地は配管経路も単純だからでしょうか?私の場合は郊外にある場所なので、近くの銭湯・健康センターに足を運んでしのいでおりました。しかしそれも重油が尽きると休みになってしまうので、結局反射式の石油ストーブで沸かしたお湯で体を拭いていたのが現状です。でも復旧は早いほうで先週の火曜日には既に復旧していただき本当に助かりました。
青葉区の市内中心部はこれからの復旧工事のようですので、近くに銭湯を探していただくか、郊外にある作並温泉や秋保温泉がありますので、日帰りで温泉可能なホテルや旅館のお湯につかってくるのもいいかもしれません。今日4月3日現在、ガソリンスタントもほぼ平常給油ができるようになりましたので、ガソリンを満タンにして行ってみる方法もあるかと思います。
もしなかなか温泉などにいく時間がないようでしたら、どうぞ泉区にある私の家のお風呂を使ってもらって構いません。ご連絡をいただければ準備しております。ビールも冷やしておきましょう!
近くのスーパーもようやく牛乳が販売されるようになってきました。そんな訳で買い物も並ばずとも購入可能となってきております。
ご主人の場合は仕事がら夜遅くまでお仕事をされているかと思いますので、体調だけはどうぞ崩されませんように。
仙台市地下鉄も被災し、泉中央から台原まで不通のため普段より通勤が2倍近くかかっており、復旧までには約2ヶ月とのこと。
いずれにしても公共的な設備についてはかなり長期戦を覚悟しなくてはならないようです。
そして明日4日は月曜日、まずは通勤そしてその後は津波のような量の仕事が舞い込んでくるに違いありません。なんとか踏ん張って乗り切るしかありません!
裏千家茶道関係では3月・4月そして5月最初の月釜まで延期もしくは中止になりました。研究会や支部大会そして各種会議も総て中止となっており、残念ですがゆっくりお茶をいただける環境にはしばらくなりそうにもありません。
ハレのはは様、どうぞこれからも引き続きのご支援よろしくお願いいたします。
コメント感謝申し上げます。
★ハンナさま
今日の仙台はハレの一日でした。最低気温が5℃、最高気温が12℃近くまであがりましたが、風が強くて気温の割には寒い一日だったようにも思います。
まだまだ余震も多く今日だけでも体に感じた余震が3回ほどあって、体で感じないものを加えると相当の数になっているのではないでしょうか。
どうもいつも地震で体が揺れているという感じもしてくるものです。
明日会社に行きますが、また社員のご家族の方々などの訃報のメールで届いているのではと心配です。既に先週末で宮城県内だけでも40件近くの訃報メールが届いていたほどです。一日も早い確認ができればと思っています。
月釜は宮城はほとんどが延期もしくは中止になってしまいました。研究会や各種会議も同様です。
一日も早い復興を遂げ、また月釜に伺うことができるような平穏な日々が戻ってくるとを願っております。
いつもコメント感謝申し上げます。
本日2月の様な寒さでした。被災された方々には申し訳無いような普通の生活をさせてもらっています。少しずつ、いつもの生活に戻られている様で良かったですね。
宮城や福島など、大変な災害に会われた人たちは先の見えない不安で心細い思いをされていることでしょう。身内があまりにも突然に目の前から消えてしまった喪失感、しなくても良い経験、避難生活の大変さ、復興までの生活は大変な事が続くと思います。
原発の問題も、関東の人間としては、申し訳ない思いでいっぱいです。
一進一退ならまだ良い方で、少しも前が見えない現状に、この先どうなるのだろうと、不安が押し寄せてきます。
千葉でも津波の被害などがありましたが、復興に向けて頑張っています。
少しでも被災者の皆様が普通の生活に戻れる事を祈っています。
富樫さんも、辛い思いをされている事と思いますが、どうぞお力落としされませんように。
mixiの足跡から辿って参りました。 この度は大変な被害に遭われお見舞いを申し上げます。 これから出掛けますがまた立ち寄らせて戴きますm(_ _)m
★さちりんさま
おはようございます。
大震災からそろそろ1ヶ月。
少しは落ち着いてきたところですが、一昨日の夜の地震にはさすがに驚かされました。深夜の11時32分の震度6強の揺れで、寝入り端ということもあり少し慌てふためいてしまいました。もうしばらくは揺れは無いだろうと高を括っていましたが、いつ何時ゆれが起きるのか分かったものではありません。停電となり懐中電灯や携帯ラジオがどこにあったのか慌ててしまい少し時間がかかってしまいました。
セットにして一箇所に置かなくてはと改めて準備したところです。
さちりんさんのおっしゃるように、福島第一原発はほとんどの電力が関東に送電されているものです。
被災当時「被災された方々のため節電しましょう」と放映されていたのを記憶しています。東北に住む我々にとってはどうしても理解できない表現でした。自分たちのためにまず自分たちが節電するというのが基本だったと思っています。
施設のある福島県は、これから何十年とこの原子力のトラブルに否応なく飲み込まれていくでしょう。
まだまだ先の見えない今回の大震災。
でも被災地は多くの皆様方のご支援により少しずつではありますが息を吹き返しております。昨日は全国の皆様方からいただきました義援金の一次配分も決まったようです。早く被災者の方々の手元に届いてほしいと願っています。
引き続きのご支援よろしくお願いいたします。
千葉でもいろいろな被害があったことがようやく我々の眼や耳に届くようになってきました。新聞の一面とはならなかったようですが、建物などに大きな被害があってこちらと同じ被災地なのだと思っています。
同じ東日本として一緒になって復興に取組んでいきましょう。それにはまず自分で出来るところからやっていきたいものです。
お互い頑張っていきましょう。
★メダカの目さま
おはようございます。
火曜日にコメントをいただきましたのに、返信が遅れましたこと深くお詫び申し上げます。
仕事では職場のビルが3月11日に被災し改修工事に入っているため、現在別のビルに引越ししておりましたが7日深夜の大きな余震により再度被害を受けてしまい、昨日は一日後片付けに追われていました。
どうして次から次へとこんな目に遭わなくてはならないのか!?
「どうして!」と言葉が何度も口に出てまいります。
でも生きているからには、こんなことでへこたれているわにはいきません。
「あきらめず、へこたれない東北人」
がんばります。
最近は震災の内容ばかりのブログになっておりますがまたのアクセスお待ち申し上げます。
時間が経ったらお茶、ライアやハープのことも書き込んでまいります。
コメント感謝申し上げます。