風の森通信 第796号


 「被災地の瓦礫のなかに大日如来」

                       仙台市泉区  冨樫 通明

 平成二十三年三月十一日、この日は仕事が終わってから会社の同僚たちと一緒に、同じ職場で気仙沼出身の熊谷喜美雄さんの書展に伺う予定であった。その後は揃って居酒屋に行こうなどと他愛のない話をしていたものだ。
そしてあの午後二時四十六分の大きな揺れを境に、これまでの当り前の生活の歯車が狂ってしまい、悲しみそして苦しみに振り回される日々が始まってしまおうとは夢にも思わなかった。
 私はその時仕事の関係で仙台市太白区長町にいて、震度六強という尋常でないその揺れかたに驚き、外に出て収まるのを待っていたが、なかなか収まる気配が無かった。後で分かったことなのだが三分近く大きく揺れていたという。近くの大きなビルの非常階段がギシギシと大きな音をたて、崩れんばかりに揺れていたのを今でも鮮明に覚えている。その後車ですぐに会社に戻ったが、八階建てのビルの壁が崩れ落ちて入館すらできず、そのまま指定非難場所まで行った。そこでスマートフォンで初めて大きな津波が来ていたことを知ったのだ。約二十分近く待機していただろうか。
その後直ぐに家に帰るようにとの指示があった。地下鉄もバスもまったく動かず、信号機も機能せず市内のいたるところで大渋滞。しかたなく徒歩で三時間もかけて雪の降る中、仙台市泉区にある自宅まで帰った。その日から全てのインフラがストップした生活がしばらく続くことになった。
 震災の翌日からこれまで、友人や知人から恐怖に慄き逃げ延びた経緯や惨劇の数々を耳にすることになった。地震から三十分という短い時間での一人一人の行動が、生と死を分けた時間になってしまったのだ。子供たちは学校や幼稚園にまだいたという時刻が幸いし難を逃れた一方、石巻市立大川小学校のように生徒たちのほとんどが津波にのまれてしまった悲劇もある。また、家に居た両親が逃げ遅れ、たまたま難を逃れた知人は高台から自宅が流されるのを見ているだけであったという。病臥の老母と非難途中で波にのまれた人もいたという。家族みんなで温泉からの帰路、車ごと押し寄せる波涛に流されたと聞いた。通夜や葬儀の最中に、また漁に出ていて、海岸では板切れにすがりつき必死に手を振りながら助けを求めても、怒涛にのまれ流されていく幾人もの人々がいたという。結婚披露宴を翌日に控えていた家族に至っては、無念さとその心痛は推し量ることすらできない。
 一瞬にして実に多くを失ってしまいました。しかしわずかではあるが残されたものもあったのです。冒頭の熊谷さんの自宅は気仙沼市松崎尾崎地区。津波で周囲の住宅や堤防そして松林はすっかり姿を消してしまった。そこには以前から気仙沼湾を向き高さ約一mの大日如来坐像があって、一八〇五年(文化二年)から熊谷家敷地内のお堂に安置され代々祭ってきたとのこと。津波は熊谷さん宅をのみ込み、大日如来坐像もお堂ごと流出の憂き目に遭い、数日後元の場所から約六十m離れた場所まで流されながらも、海を向いて石像は座っていたという。

大日如来は宇宙の根源を現す仏。
昼夜の別なく光明で世界を遍く照らし、諸々の苦難から人々を救済するといわれている。あらゆる仏が大日の化身であり諸仏の役割は大日の意志でもあるとされる。例えば修験者は修業する山で起きた試練を、自然の神秘に秘められた大日如来からの教えとして受け入れるとのこと。それにしてもこの大震災による津波の試練を、私たちはどうとらえればよいのだろうか。
先の大日如来坐像は津波の濁流に汚れずそして倒れることもなく、往時のまま泰然と座し依然海へと顔を向け続けていたのです。それはあの日に咆哮をした海を睨みつつも、鎮撫を願い続けていたのであろう。その後大日如来坐像を熊谷さんが発見した時、大きな叫び声をあげながら嗚咽し続けたという。
周囲の海辺は家一軒も残らない荒れ野と化し、いままでの入り江は陸地奥深くまで入り込んでしまい、人家の無かった頃の昔の姿に戻ったのだと言う。それ程まで原形をとどめてはいなかったのだ。失われたものの大きさや、私たちの手にそして心に残ったかけがいの無いない価値も含め、これが現実の世界なのだと大日如来は教え諭しているのかと独り繰り返す煩悶が絶えない。
 私たちから全てを奪い去り絶望の淵に立たせたのは自然の仕業、かすかな希望を見出せたのもまた自然の力。
身近なものに目を移してみると、当り前の日々が自然とともにいつも傍らにあった。平穏な時はなかなか気付くことはなかったが、その時もそして今でも日常は続きこれからも続くのであろう。ささやかなそして一見自分とは関係の無い小さな芽生えのようなものが、生きる原動力になるのかもしれない。それは微かな明るさであったとしても、一つの明るい光明を見出しているのではと思われてならない。
 震災後すぐに全国の皆様方から、全世界の方々からそして「京都漱石の會」会員の皆様方からも義援金をいただくことができましたこと、この紙面をお借りし厚く御礼申し上げます。被災地の復興はようやく始まったばかりです。皆様には引き続きご支援をいただきますよう改めてお願い申し上げます。
震災を機に、自分の人生が今どのあたりなのか考えるようになってきました。これからは少しでも世の中の役にたつこと、そして人に迷惑をかけぬよう生きていきたいものです。

 震災後新しく取り組み始めたことがあります。
一つ目は子供茶道をスタートしたことです。茶道の良さと楽しさを、将来を担う子供たちに教えていくことにしました。幸いなことに道具がほとんど無かった私にと、わざわざ丹治先生よりたくさんのお道具を届けていただくことができました。

少ない人数ではありますが、先生より拝領したお道具を使わせていただき楽しくお稽古をしております。この場をお借りして丹治先生には深く感謝申し上げます。
 もう一つ新しく始めたことは、約百坪の畑を借りて家庭菜園に取り組んでいます。まったくの素人故に近くの農家の方々からご指導をいただき、いろいろな種類の無農薬野菜を作っています。これまでのように消費するだけではなく、自らが直接大地に働きかけ、汗を流すことの大切さを知ることができました。今年も雪解けが待ち遠しいものです。

 さて今年は三月十三日から十八日まで、熊谷さんが所属する臥牛会主催で「第四回臥牛現代書展」を、仙台市青葉区一番町仙建ビル内ギャラリーで開催されます。東日本大震災を経て避難しながらこれまで取り組んできた熊谷さんの作品が数多く出展されます。今年こそ書展の帰りには一緒に飲み明かしたいものです。

 熊谷喜美雄氏の書展が三月十三日から開催されることもあり、多くの皆様方に是非書展に足を運んでいただきたく、本日「被災地の瓦礫のなかに大日如来」を掲載させていただきました。
大日如来坐像写真は同氏よりお借りし掲載したものです。
また本文は京都漱石の會会報「虞美人草」第九号に投稿させていただいたものです。多くの皆様方にご一読いたければ幸いです。



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大日如来像は何を見つめて何をおもうのでしょう。
去年の震災で、神仏は本当にいるのだろうか、いるならば何故こんなひどい事を出来るのか、等々考えるようになりました。

のこされた人達にはのこされた意味があると良く言いますが、私は逆縁に合われた人達の悲しみ、大事な人達を失った人達に曾野意味を問うのは余りに酷な様な気がいたします。

いつでも理不尽な事は尽きなくあるもので、それを乗り越えなければいけない意味は深いと思います。

そして普通に日常を過ごしていける幸せを忘れてはいけないと肝に言い聞かせて行かなければとも思っています。

子供茶道と畑と忙しくなる日も近づいてきましたね。

気合いを入れて頑張ってくださいませ。

もちろん、お仕事もです。

存在すること

★さちりんさま
 こんばんは。
さちりんさんのコメントを読まさせていただきながら、遠藤周作の「沈黙」を思い出していました。
その受け止め方は一人一人さまざまだと思いますが、残された者の一人として倒れることもなかった大日如来坐像に今はおすがりするしかないのだと思っています。
この惨劇を忘れることのないようにし、後生に語り伝えていくことも私たちの務めだと思います。
 仕事も畑もそして子供茶道も丁寧にこれからも取り組んでまいります。
いつもコメント感謝申し上げます。
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プロフィール

 冨樫 通明  (仙台市在住 ・ ぎゃらりー風の森代表)

Author: 冨樫 通明 (仙台市在住 ・ ぎゃらりー風の森代表)
NPO法人和の学校会員、和の学校仙台分校会員。
茶道を中心とした「和の文化」の実践と普及・拡大に取り組んでいます。
昔からあった美しい東北の四季、それを彩る催しなどもお届けしていきます。

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