風の森通信 第842号
お稽古茶事は夜咄(よばなし)の茶事
カレンダーを一枚捲っただけなのに、今朝の仙台は雪が降って辺りは薄っすら雪化粧。
今日は待ちに待った齋藤社中でのお稽古茶事は夜咄の茶事。
夜咄茶事とは電気の灯りは一切使わず、和蝋燭の灯火と行灯・灯心の明かりの下で懐石やお茶をいただくもので、季節的には夜長の12月頃から2月くらいまで行なわれるお茶事です
今回は私が亭主役を担当させていただきました。
午後四時半過ぎて手燭(てしょく)の交換の頃、小雪がちらほら舞い降りてきます。
待合床 流水寒山路深雲古寺鐘
本席床 響
茶杓銘 一筋
亭主としての私のテーマは「闇の中の光と音」として臨んでみました。
幽寂な情景の中に身を置き、喚鐘(かんしょう)の音、短檠(たんけい)や手燭や膳燭(ぜんしょく)、行灯などのかすかな光。
暗闇という殻の中にいる私たちにとっては、捜し求めていた音であり一筋の光明。氷点下近くまで気温が下がると、待合や腰掛待合の火鉢、手焙(てあぶり)や湯桶のお湯の温かさはこの季節ならではのご馳走です。お稽古茶事とはいえ、おもてなしや気付きの一つひとつを確認することが勉強でした。
喚鐘はさまざまな祈り込めて、余韻の残る打ち方をしてみました。心の外から聞こえてくるこの音を、お客様お一人おひとりの心にどのように響いてくれたでしょうか。
お茶杓の銘の一筋から、私たちは茶道という一つの道にどのように力を注いでいくのかと問われます。
短檠や手燭や膳燭そして炭火の灯りを見ていると、以前にもこのような光景があったのではと不思議な感覚になるものです。また同じ社中のメンバーとはいえ、こうして互いに巡り合えた不思議さも感じることができました。
夜咄の茶事ではかすかな灯りや温かさそして音は、主客の心が一つに集中することができるようです。その灯りの中で見せてくれる陰影の美しさには驚かされます。普段見慣れているお道具でさえ、三次元的な深みを増してくれることを知りました。
暗闇の中での所作は手元がなかなか見えにくいものです。
釜に釻(かん)をかける時や、お茶碗にお茶やお湯を入れる量が見えにくいことを感じました。それだけ日頃のお稽古がまだまだ不十分だということの証でしょうか。
初めて体験させていただいた夜咄の茶事。おかげさまで社中の皆様方と一緒に、記憶に残る夜咄のお稽古茶事となりました。
齋藤先生に導かれ一会を無事終える事ができました。豊かで暖かくそしてゆったりと流れる時間は、私たちにとって誠に得がたい空間と時間でした。
このような機会を作っていただきました齋藤先生に改めて感謝申し上げます。
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